幽霊は、存在する、幽霊は(日本人共有の幽霊の情報)として存在している。
神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源
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今回も、yahoo知恵袋から
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読書ブログ リストマニアなろう!を読んで独り言。
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幽霊は、存在するのか、しないのか!!
- 人類共通の恐れ、不安(夜における暗闇、獣から、襲われるかもしれない不安
- 成長して得る、記憶、経験、知識教育、躾の中に含まれるオカルト的要素、
- トラウマ的経験は、負の外的要因にもなる、ここではトラウマ体験後を指す。(いじめや、いきすぎた躾、体罰、事故、事件、災害、戦争、病気など)
- 変性意識状態の入りやすい、体質、状態(暗示のかかりやすさのこと、子供や、寝入りばな、薬全般、飲酒)
- ストレス( 生活上のプレッシャーおよび、それを感じたときの感覚である)
- 空間アンカー(個別の記憶、経験から得た物では無く、ホラースポット、墓場、病院、寺社、など、トラウマやオカルトと比較的結び付きやすい場所)
- 催眠による暗示(自己暗示とは別、ここでは他者からの催眠、洗脳)
- トラウマ的経験は、トラウマ発生時を指す。(いじめや、いきすぎた躾、体罰、事故、事件、災害、戦争、病気など)
なぜ学校に行かなければならないのか?
なぜ学校に行かなければならないのか
この問が、重要だと思っていました。
それは、学校がいじめの大きな一因であると
今でも、その考えには変わりはありません。
しかし、学校は要らないとも書きました
そして学校は無くならないとも書きました
ではどうすればいいのか?
学校は要らないという件について
学校の必要性と役割について考えた時
将来、社会に出た時に必要な教育と
社会人として恥ずかしくない集団行動あり方
一般常識を学ぶ場所である。
それとは別に、部活動、恩師、友人など
今後、人生において重要な沢山の経験と
人の触れ合いを学ぶ場所であり
本来ならば、感謝されるべき機会を持つ場所で
うまく機能すればその価値は
計り知れないほど有用ですが
今現在、その価値は薄れつつあります。
その一つの要因として
その全てを、他のもので代用出来ると解りました。
それは、塾、両親のしつけ、地域の人の付き合い
インターネット、フリースクール、スポーツクラブなどです。
学校は無くならないと書きましたが
実は、学校を当てにしているのは、子どもたちだけでは無いのです。
それは、子供を持つ両親なのです。
共働きの家庭なら、学校が無くなってしまったら
昼間、子供を誰が見るのかという話になり
中には、稼ぎ減って生活に支障がでますし
学校関係者の大部分が無職になってしまいます。
何十年と学校を頼った社会を生み出してしまったため
簡単には、無くすことは出来なくなった。
では、どうするのか
学校でなくとも良い
義務教育のあり方を見直し
学校の他で作り出す
学校は、無くさない
代わりに、学校以外の場所での教育を
義務教育が行なわれたと認める制度を作る
フリースクールや家庭でも、認められるようにすること
学校以外を選択する自由と権利と場所を早急に整えて貰いたい。
つまりは、学校以外の子供たちを受け入れられる場所と
それでも良いと政府が認めること
今現在の、学校のシステムは時代遅れで
昔と違う環境で暮らす子どもたちにとって
学校のみでは、対応できない
それと、今でも学校に行かない子は落ちこぼれという考えが広まっていますが
単純に落ちこぼれと決めつけるのは誤りであり、昔の常識で考えても
だめだと言うことです。
学校以外の場所が政府の公認で増えれば
学校で起こるいじめは無くなりはしないでしょうが
大分負担は減り、いじめ自体にも変化が起こるかもしれません。
ここまで考えた時
一つの事を見ていても変わらないのではと思いました。
いじめは誰が悪いのか
いじめた子は悪いです、反省し、罰せられることがあれば
罰を受けるべき
しかし、そのいじめた子をそのようにしてしまったのは
両親ですか?
教えきれず、見てみぬ振りをした教師ですか?
それとももっと身近にいたクラスメイト?
いじめ自体を隠蔽する学校?
それとも、その地域に住む大人たち
政治家が悪いのかもしれません、
まるで犯人探し、真犯人は共謀者誰だ
匿ったのは、延々といじめに関わった人間が芋づる式に出てくるでは
ありませんか、最後にはいじめられた子までもが
悪者扱いになってしまう。
いじめの直接的な原因を作り出し、法で裁かれる行為をしていれば
法に従い、罰を受け、反省、後悔と償いの心を持ち続けるべきだと
思いますが、そのまわりで何もしなかったものにも責任があるはず
そして、なんらか打開策を持ちながら、それすらもしなかった
多くの大人はもっと反省し何が出来るかを常に念頭に起き
準備を始めるべきです。
しかし、この考え方では
いじめは解決しないのです、責任追及はすべきですが
もっと、肝心なことを注目すること
それは、正しいしつけを知り、実践することです。
自分自身、正しいしつけとは何か解りません
しつけとは、一般常識でこんなもんだ
暗黙の了解で改めて、他の誰かに聞くのは
恥ずかしくて聞いたことがないのが現状です。
大勢の方がそう思っていると確信します、
大人たちが正しいしつけを理解し、実践して行くことで
子どもたちは、自然と大人を見て気付き
改めて正しいしつけを教えていく事で
子どもたちが、大人になっていった時に、結婚して子供もった時
正しいしつけが受け継がれていく
このことが、いじめに対して、予防と対策になるはずです。
正しいしつけだけでは、いじめには不十分であると
思っていますが、根底にある基本的な大事な部分を
全員が共通して持っていることが重要だと思います。
では、正しいしつけとは何か
これについては、次回にします
ただ最近になって、名前を知られてきた
アドラー心理学の教えがいじめに対して
有効であると感じています
例えば、アドラー心理学の教えの一つに
「その人の過去に、こんな経験があって、こんな風に育って来たので
現在こんなふうに行動する」という見方の原因論
「その人が向かうとする目的が現在を決定する」という見方
目的論があり
もっとも重要な問いは「どこから」でなく「どこへ」である
ということです。
つまりは、今あなたはどうしたいか?
過去にに何が合ったとしても、しがみつかず、惑わされず
今の自分がどうしたいのかを追求することが
問題解決の近道だとおしえています。
問題は、過去に起こったかもしれない
けれど、大事なことは未来にある
その一歩が、正しいしつけを学び実践することと
考えています。
残された課題は
正しいしつけと、アドラー心理学のような
過去に囚われない、前向く事がいかに大事かを教えている
学問がいじめに対してどれだけ対応できるかを
自分なりに勉強したことを発表したいと思います。
学校は要らないが現在の状況では無くすことができない
しかし、学校以外の選択を増やすことが
いじめに対しても、学校の負担に対しても有効であるが
これは、犯人探しの一つに過ぎず
いじめをどう無くしていくかは、未来をどうしたいかを
考える必要があります、
今日の自分が明日を作り、未来の目標が過去を決める
思い出を振り返ったときに、あんなことも合ったよねと
辛いかった事を笑い話にするには、
未来の自分が、
明るく、安心して
笑っていられる事だと思います。
そのために正しいしつけを学び、実践し
目標をしっかり持ち、未来に備える
自分も考えていこうと思います。
次回、正しいしつけと、アドラー心理学はいじめに対して効果はあるのか
どこからがイジメかという、問いかけに答える
いじめ問題を、考えるとき一つのテーマともいえる
どこからがイジメかという、問に対して答える。
どこからがイジメかという事ではない
普段からの、行動が見直すことが出来なければ
後に、いじめられた子に対して行なわれた行為は
全てイジメとして扱われるのである。
例え、それが軽いイタズラや、変わったアダ名、挨拶のつもりの背中を叩く行為も
いじめられた子がどのように感じているのか解らないのだ。
人はだれしも好き嫌いが有る、あいつだけには言われたくない、相性の悪い奴も居る
そんな相手から、変わったアダ名で呼ばれるだけで気分が悪くなる。
または、体の調子が悪い時もある、それをまたからかう者いる
緊張する場面、大勢の前でからかうことをする。
相手が一人であっても、其の時のタイミングや相手によって
必要以上のダメージを受ける。
やられた本人しか解らない心のダメージが問題である。
自分がやられたら嫌だなと感じる行為は、全てイジメになると言う事だ!
しかし、ここまでなら、周りからみれば、じゃれ合っていると思うかも知れない
そのような行為が続けば、いじめになり、今までの行為は全てイジメとして扱われる事になる。
客観的に見て、じゃれあっているように見えても、彼らの本心は違うのである
毎日、続くとどんな小さな行為でも、イジメとしてカウントされ
いじめられている子を苦しめていく。
いじめる側は実は嫌がっているのを解っているのに辞められない
あるいは、イジメをすることが日常化して感覚が麻痺しているのである。
この状態は、一種の負の連鎖で一度始まってしまうとエスカレートするばかりである。
しかし、、イジメられていると感じた時にはもう、負の連鎖がはじまっていて
手遅れとも言える。
負の連鎖の行く先は、最悪の場合、自殺を選ぶことでしか抜けられない
あるいは、うまく逃げて転校しかないのである。
今の、子どもたちは心が弱い、と良く耳にしますが
最近のイジメは、計画性があったり、執拗に弱みを狙ったり
あるいは、いじめっ子の中には人が死んでも構わないと
思っているまともな神経では無い子が増えている。
簡単に、心が弱い、いじめらている子にも原因があると入ってほしく無い
そう思うなら、イジメられている子に原因があるなら
「そんな態度は直したほうがいいよ、」とか
「出来るまで待ってやるよ」などと声をかける
庇うことが出来なくても、できる事でカバーするような
しつけや、教育をあなたは受けてきましたか
教えてきましたか?
大勢の方が、教えて貰ってないし、教えてもいないのではありませんか
批判は誰でも出来る、じゃあどうすればいいのかを
考えて見ても、良いと思います。
イジメの問題は、子供達だけの問題でなく
周りの大人達の行動や言動も大きく関わっています。
どこからイジメかではなく、普段からの行動が問題になります。
完璧な人間は居ません、しかし、普段行っている行為が周りに
どう影響を与えているか見直す事が必要なのかもしれません。
どこからかがいじめか?
自分がされたら嫌だなと感じた行為は、後にいじめになる可能性がある
もしかしたら自分の行動の中にも、他人に嫌な思いをさせている事があると
言う考えを持っている事が大事かもしれません。
ここからは個人的な偏見で実際はこの路線で話をすすめたいぐらいですが。
いじめは一度起これば、戦争であり、生きるか死ぬか
負けたら死か、負け犬かである。
以下にしてその戦争に打ち勝つか、いかなる手段を持ってしても
勝ち残る必要がある
と考える自分がいますが、穏やかではありませんが
実際の所このぐらいの思いがないといじめから逃れることは
出来ないのかもしれません。
これでは、相手が死ぬまで戦うことになるのかもしれません
理想とは違いますので終わりにします。
いじめは永遠に無くならないのか
いじめについて、何が出来るのか常に考えていました。
毎年、何回かいじめで自殺のニュースを、聞いたり見たりする度に
どうにかならないものか考えて見るものも、其のニュースを見て
少しばかり、考え事をするだけで、次のニュースや他の話題に
自分の関心は写ってしまい、真剣に考えたことはありませんでした。
しかし、いじめの問題は、僕の中ではなかなかの比重占める
社会問題であることが、最近解ってきたので
真剣に考えて見ることにしました、其の結果
ある答えに達してしまったのです、いじめに関して
調べたり、ネットの掲示板などを見て考えた結果
いじめの問題があまりにも多くの問題を抱えている事に気付いたことと
僕があまりにも知らないことが多いことに愕然としましたが
極論すぎるかもしれませんが、結論
いじめは永遠に無くならない
ということです。
なぜか、人が3人以上集まれば、いじめは起きる可能性がある
一対一なら喧嘩で済みます。
補足すると、人間が持つ様々な感情、支配欲、妬み、恨み、嫉妬など
がある限り、いくらでもいじめは起こるはず。
つまりは、複数の子供が集まる
学校がいじめの原因である
ということは、
学校は要らない
何故か、現在の学校の仕組みは時代遅れであり
特にいじめに関して、無力で根本的な解決策を現在の学校の仕組みでは
見出すことは出来ない。
反対意見もあると思います。
いじめは、学校だけの問題ではありません、
一つ一つを見ていくと
いじめた子はもちろん悪いです
いじめれた子には、本当に原因は無かったでしょうか
そして、両方の親にも原因は無かったか?
ただ、いじめの場所を提供しているのは学校なのです。
学校がいじめに対して無力
という点を挙げていきます。
教師に対して、生徒の人数が多すぎる
これに対しては、昔の教師は出来ていたとか
教師は、この道のプロだから出来て当たり前という
意見をきいたりしますが、
昔の教師が全員出来ていたわけでは無いし
授業を教えるプロかも知れませんが
いじめに対して専門の教育を何年も受けたわけではありません。
自分が、仮に教師なって、30人以上の生徒を全員完璧に見れると思うなら
今すぐ教師なるか、教師の教師になって学校で戦っている教師を助けてあげてください。
被害者と加害者のスタートが同じ
これは、明らかに僕の偏見で大変申しないですが
いじめた子(加害者)もいじめられた子(被害者)も
全てがそうでないと思いますが
何らかの要因を学校に入る前に持っていた可能性がある
それは、行為障害や発達障害の軽度のものや、いろんな病気や問題を
抱ている子どもたちを学校がなんの対策を持たずに
受け入れている
実は、ここが重要なポイントと考えていました。
どうしてか
いじめた子(加害者)は病気である
前から考えていたことで、人を苦しんでいるの見て喜ぶのは異常であり
病気だと、すべてのいじめの例がそうだとは言いませんが
何らかの要因を持っていると考えています。
実際にどうなのか
「いじめっ子の脳は、他人の苦しみ見るたびに喜びを感じる回路をもっているかもしれない」と
2008年の11月「Nationai Geographic News」に掲載された
いじめっこの脳についての研究結果が紹介されましたし、
おそらく同じ研究結果のことを「ほんまでっかTV]にご出演の
脳科学者澤口俊之さんも語っておられました、
研究結果の詳しい脳内の動きについては以下のサイトでお確かめください
いじめっ子の脳は他人の苦しみを見ると喜び感じる回路あり説 - Ameba News [アメーバニュース]
しかし、これだけでなく、子供の頃(小学校に入る前)に暴力的だった
これを個性と見る方もおられますが、じつにこれは
行為障害の一つであると考えるべきです。(行為障害CD)
他にも、18歳以上であるのならば、反社会的人格障害ASPD
さらには、自己愛人格障害などが、いじめている子供たちにあると言って間違いないと私は、思っています。
サイコパスのことを
日本では、反社会的人格障害と位置づけている
つまりは、犯罪者予備軍であり、実際にはすでに犯罪者である可能性もあり
野放しするべきではではないのです。
サイコパスが犯罪者であるとの見方は実際にはそうでない、ケースが多い
つまりサイコパス=犯罪者ではない説がありますが
個人的見解では、犯罪であるが、捕まっていないだけ、有耶無耶にしたり
何らかの圧力をかけ、立件出来ないようにしている、
なぜならば、人の苦しみをみて喜ぶ連中が何もしないはずはない。
いろいろありますが、
問題は
なぜ、人を殺してはいけないのかわからないような危険な子供
なぜ、いじめてはいけないのか、なぜそれがバレて
謝罪しなければならないのか、理解できない
生徒を、何も対策なしで入学させてしまう
今の学校の仕組みが無力だということの証明に過ぎない。
ある程度の障害はテストで判明するそうですし、更生プログラムも
成果がありそれを考えると
入学時に、許否する権利を学校に与えてもいいと思うし、
対策がある学校の方を選択してもらう
現状、そんな仕組みが無いけど
それ故に
幾ら教師が頑張っていても、一人でも突出して行為障害が高い子が
現れた途端、あっという間にいじめで自殺する子が出てくる
教師がおそらくいじめ対策を学んでいても歯がたたないと考えます。
この入学時に、子どもたちをテストして振り分ける事自体を
差別や人権問題と騒ぐ人が出てくるとは思いますが
どうすれば、いじめがなくなり
笑顔で通える学校の一つの手段では無いかと思います。
進学時に学校を選ぶ時、いじめ対策が万全な学校を選ぶ時代が来たと思っています。
学校がいじめに対して無力といいましたが
学校自体の問題もあります、それはいじめに関する隠蔽問題を始めとする
学校自体の腐敗があります。
何様のつもりという人もお有りでしょうが
教師を始め、校長学校関係者のモラルの低下が酷すぎる
セクハラ教師、児童買春、サイコ教師にアルコール依存、生徒を下回る学力しかない教師
明らかに教師の質がどうなのか問う時が来たと思います、一部の教師の話だと言う方も
おられますが、其の一部の教師のもとで学ぶ生徒の苦痛は計り知れない物があり
いじめの発端にならなければ良いと思います。
生徒を入学時に振り分けるのなら
教師も、2年おきに学力と精神的なテストを受け
きちんと教育を実践できると認定を受けるべきだと思います
しかし、これを行うと教師の成り手が減るのかと
その代わり、手厚い給料面と今よりも、強い権限を与えるべきだと思います、。
きちんと、テストを受け、認可された教師のクラスで
いじめがあった時は、生徒側に問題ありとして
その教師は基本責任のすべてを追わなくていいが、明らかな落ち度があった場合は別問題だが、法的保護が権利として与えられるべきと考えます。
謝罪や誠心誠意の対応は必要だが、教師も守らるべきです。
学校のことを中心にしていますが
もし学校が無くなったら、今のようないじめは無くなるでしょう
でも、現状学校が無くなることは無いでしょう。
長くなりましたが、僕はいじめにいて考えたことはまだまだあるので
何回かに分けて書いていこうと思います。
いじめの問題で一番重要なのは
なぜ学校に行かなければならないのか
なぜ人を殺してはいけないのか
の2点に絞られるのかと考えています、
最初の、なぜ学校に行かなければならないのかについては
僕の意見は、学校が要らないと書いたこともありますし
行かなくても良いと考えています。詳しくは次回にしたいと思います。
最後に、好き勝手書いておりますが
本当に何も知らない自分に気付き驚くと共にがっかり感も味わいました
もしこの記事を読んで、反対意見や賛成、ふざけるななどの
お叱りもコメントして下さい、全てが浅学な自分に突き刺さることでしょう
もし、心が負けたら次の記事はいじめ問題じゃないかもしれません
でもいじめが無くなってほしいという思いはしっかりあるので
なんとか次もがんばります。
後、忘備録として
いじめに関するテーマ
- いじめが永遠に無くならないのならどうするのか
- いじめはどこからいじめか
- あたらしい学校と教育、僕の考える、自分のことは自分で決める学校
- いじめの予防と対策、いじめ防止条例といじめ対策マニュアル、保護者再生法
- 警察はいじめ問題にどう関わっているのか