ぼっちの独り言は長い!

喋る相手がいないから、言いたい事を書いてみた。

いじめは永遠に無くならないのか

いじめについて、何が出来るのか常に考えていました。

毎年、何回かいじめで自殺のニュースを、聞いたり見たりする度に

どうにかならないものか考えて見るものも、其のニュースを見て

少しばかり、考え事をするだけで、次のニュースや他の話題に

自分の関心は写ってしまい、真剣に考えたことはありませんでした。

しかし、いじめの問題は、僕の中ではなかなかの比重占める

社会問題であることが、最近解ってきたので

真剣に考えて見ることにしました、其の結果

ある答えに達してしまったのです、いじめに関して

調べたり、ネットの掲示板などを見て考えた結果

いじめの問題があまりにも多くの問題を抱えている事に気付いたことと

僕があまりにも知らないことが多いことに愕然としましたが

極論すぎるかもしれませんが、結論

 

いじめは永遠に無くならない

ということです。

なぜか、人が3人以上集まれば、いじめは起きる可能性がある

一対一なら喧嘩で済みます。

補足すると、人間が持つ様々な感情、支配欲、妬み、恨み、嫉妬など

がある限り、いくらでもいじめは起こるはず。

つまりは、複数の子供が集まる

学校がいじめの原因である

ということは、

学校は要らない

何故か、現在の学校の仕組みは時代遅れであり

特にいじめに関して、無力で根本的な解決策を現在の学校の仕組みでは

見出すことは出来ない。

反対意見もあると思います。

いじめは、学校だけの問題ではありません、

一つ一つを見ていくと

いじめた子はもちろん悪いです

いじめれた子には、本当に原因は無かったでしょうか

そして、両方の親にも原因は無かったか?

ただ、いじめの場所を提供しているのは学校なのです。

学校がいじめに対して無力

という点を挙げていきます。

教師に対して、生徒の人数が多すぎる

これに対しては、昔の教師は出来ていたとか

教師は、この道のプロだから出来て当たり前という

意見をきいたりしますが、

昔の教師が全員出来ていたわけでは無いし

授業を教えるプロかも知れませんが

いじめに対して専門の教育を何年も受けたわけではありません。

自分が、仮に教師なって、30人以上の生徒を全員完璧に見れると思うなら

今すぐ教師なるか、教師の教師になって学校で戦っている教師を助けてあげてください。

被害者と加害者のスタートが同じ

これは、明らかに僕の偏見で大変申しないですが

いじめた子(加害者)もいじめられた子(被害者)も

全てがそうでないと思いますが

何らかの要因を学校に入る前に持っていた可能性がある

それは、行為障害や発達障害の軽度のものや、いろんな病気や問題を

抱ている子どもたちを学校がなんの対策を持たずに

受け入れている

実は、ここが重要なポイントと考えていました。

どうしてか

いじめた子(加害者)は病気である

前から考えていたことで、人を苦しんでいるの見て喜ぶのは異常であり

病気だと、すべてのいじめの例がそうだとは言いませんが

何らかの要因を持っていると考えています。

実際にどうなのか

「いじめっ子の脳は、他人の苦しみ見るたびに喜びを感じる回路をもっているかもしれない」と

2008年の11月「Nationai Geographic News」に掲載された

いじめっこの脳についての研究結果が紹介されましたし、

おそらく同じ研究結果のことを「ほんまでっかTV]にご出演の

脳科学者澤口俊之さんも語っておられました、

研究結果の詳しい脳内の動きについては以下のサイトでお確かめください

いじめっ子の脳は他人の苦しみを見ると喜び感じる回路あり説 - Ameba News [アメーバニュース]

いじめっ子の脳の特徴

 

しかし、これだけでなく、子供の頃(小学校に入る前)に暴力的だった

これを個性と見る方もおられますが、じつにこれは

行為障害の一つであると考えるべきです。(行為障害CD)

他にも、18歳以上であるのならば、反社会的人格障害ASPD

さらには、自己愛人格障害などが、いじめている子供たちにあると言って間違いないと私は、思っています。

サイコパスのことを
日本では、反社会的人格障害と位置づけている
つまりは、犯罪者予備軍であり、実際にはすでに犯罪者である可能性もあり
野放しするべきではではないのです。

サイコパスが犯罪者であるとの見方は実際にはそうでない、ケースが多い

つまりサイコパス=犯罪者ではない説がありますが

個人的見解では、犯罪であるが、捕まっていないだけ、有耶無耶にしたり

何らかの圧力をかけ、立件出来ないようにしている、

なぜならば、人の苦しみをみて喜ぶ連中が何もしないはずはない。

いろいろありますが、

問題は

なぜ、人を殺してはいけないのかわからないような危険な子供
なぜ、いじめてはいけないのか、なぜそれがバレて
謝罪しなければならないのか、理解できない
生徒を、何も対策なしで入学させてしまう

今の学校の仕組みが無力だということの証明に過ぎない。

ある程度の障害はテストで判明するそうですし、更生プログラムも

成果がありそれを考えると

入学時に、許否する権利を学校に与えてもいいと思うし、

対策がある学校の方を選択してもらう

現状、そんな仕組みが無いけど

それ故に

幾ら教師が頑張っていても、一人でも突出して行為障害が高い子が

現れた途端、あっという間にいじめで自殺する子が出てくる

教師がおそらくいじめ対策を学んでいても歯がたたないと考えます。

この入学時に、子どもたちをテストして振り分ける事自体を

差別や人権問題と騒ぐ人が出てくるとは思いますが

どうすれば、いじめがなくなり

笑顔で通える学校の一つの手段では無いかと思います。

進学時に学校を選ぶ時、いじめ対策が万全な学校を選ぶ時代が来たと思っています。

学校がいじめに対して無力といいましたが

学校自体の問題もあります、それはいじめに関する隠蔽問題を始めとする

学校自体の腐敗があります。

何様のつもりという人もお有りでしょうが

教師を始め、校長学校関係者のモラルの低下が酷すぎる

セクハラ教師、児童買春、サイコ教師にアルコール依存、生徒を下回る学力しかない教師

明らかに教師の質がどうなのか問う時が来たと思います、一部の教師の話だと言う方も

おられますが、其の一部の教師のもとで学ぶ生徒の苦痛は計り知れない物があり

いじめの発端にならなければ良いと思います。

生徒を入学時に振り分けるのなら

教師も、2年おきに学力と精神的なテストを受け

きちんと教育を実践できると認定を受けるべきだと思います

しかし、これを行うと教師の成り手が減るのかと

 その代わり、手厚い給料面と今よりも、強い権限を与えるべきだと思います、。

きちんと、テストを受け、認可された教師のクラスで

いじめがあった時は、生徒側に問題ありとして

その教師は基本責任のすべてを追わなくていいが、明らかな落ち度があった場合は別問題だが、法的保護が権利として与えられるべきと考えます。

謝罪や誠心誠意の対応は必要だが、教師も守らるべきです。

学校のことを中心にしていますが

もし学校が無くなったら、今のようないじめは無くなるでしょう

でも、現状学校が無くなることは無いでしょう。

長くなりましたが、僕はいじめにいて考えたことはまだまだあるので

何回かに分けて書いていこうと思います。

 

 

いじめの問題で一番重要なのは

なぜ学校に行かなければならないのか

なぜ人を殺してはいけないのか

の2点に絞られるのかと考えています、

最初の、なぜ学校に行かなければならないのかについては

僕の意見は、学校が要らないと書いたこともありますし

行かなくても良いと考えています。詳しくは次回にしたいと思います。

最後に、好き勝手書いておりますが

本当に何も知らない自分に気付き驚くと共にがっかり感も味わいました

もしこの記事を読んで、反対意見や賛成、ふざけるななどの

お叱りもコメントして下さい、全てが浅学な自分に突き刺さることでしょう

もし、心が負けたら次の記事はいじめ問題じゃないかもしれません

でもいじめが無くなってほしいという思いはしっかりあるので

なんとか次もがんばります。

 

 

後、忘備録として

いじめに関するテーマ

  1. いじめが永遠に無くならないのならどうするのか
  2. いじめはどこからいじめか
  3. あたらしい学校と教育、僕の考える、自分のことは自分で決める学校
  4. いじめの予防と対策、いじめ防止条例といじめ対策マニュアル、保護者再生法
  5. 警察はいじめ問題にどう関わっているのか