ぼっちの独り言は長い!

喋る相手がいないから、言いたい事を書いてみた。

なぜ学校に行かなければならないのか?

なぜ学校に行かなければならないのか

この問が、重要だと思っていました。

それは、学校がいじめの大きな一因であると

今でも、その考えには変わりはありません。

しかし、学校は要らないとも書きました

そして学校は無くならないとも書きました

ではどうすればいいのか?

学校は要らないという件について

学校の必要性と役割について考えた時

将来、社会に出た時に必要な教育と

社会人として恥ずかしくない集団行動あり方

一般常識を学ぶ場所である。

それとは別に、部活動、恩師、友人など

今後、人生において重要な沢山の経験と

人の触れ合いを学ぶ場所であり

本来ならば、感謝されるべき機会を持つ場所で

うまく機能すればその価値は

計り知れないほど有用ですが

今現在、その価値は薄れつつあります。

その一つの要因として

その全てを、他のもので代用出来ると解りました。

それは、塾、両親のしつけ、地域の人の付き合い

インターネット、フリースクール、スポーツクラブなどです。

学校は無くならないと書きましたが

実は、学校を当てにしているのは、子どもたちだけでは無いのです。

それは、子供を持つ両親なのです。

共働きの家庭なら、学校が無くなってしまったら

昼間、子供を誰が見るのかという話になり

中には、稼ぎ減って生活に支障がでますし

学校関係者の大部分が無職になってしまいます。

何十年と学校を頼った社会を生み出してしまったため

簡単には、無くすことは出来なくなった。

では、どうするのか

学校でなくとも良い

義務教育のあり方を見直し

学校の他で作り出す

学校は、無くさない

代わりに、学校以外の場所での教育を

義務教育が行なわれたと認める制度を作る

フリースクールや家庭でも、認められるようにすること

学校以外を選択する自由と権利と場所を早急に整えて貰いたい。

つまりは、学校以外の子供たちを受け入れられる場所と

それでも良いと政府が認めること

今現在の、学校のシステムは時代遅れで

昔と違う環境で暮らす子どもたちにとって

学校のみでは、対応できない

それと、今でも学校に行かない子は落ちこぼれという考えが広まっていますが

単純に落ちこぼれと決めつけるのは誤りであり、昔の常識で考えても

だめだと言うことです。

学校以外の場所が政府の公認で増えれば

学校で起こるいじめは無くなりはしないでしょうが

大分負担は減り、いじめ自体にも変化が起こるかもしれません。

ここまで考えた時

一つの事を見ていても変わらないのではと思いました。

いじめは誰が悪いのか

いじめた子は悪いです、反省し、罰せられることがあれば

罰を受けるべき

しかし、そのいじめた子をそのようにしてしまったのは

両親ですか?

教えきれず、見てみぬ振りをした教師ですか?

それとももっと身近にいたクラスメイト?

いじめ自体を隠蔽する学校?

それとも、その地域に住む大人たち

政治家が悪いのかもしれません、

まるで犯人探し、真犯人は共謀者誰だ

匿ったのは、延々といじめに関わった人間が芋づる式に出てくるでは

ありませんか、最後にはいじめられた子までもが

悪者扱いになってしまう。

いじめの直接的な原因を作り出し、法で裁かれる行為をしていれば

法に従い、罰を受け、反省、後悔と償いの心を持ち続けるべきだと

思いますが、そのまわりで何もしなかったものにも責任があるはず

そして、なんらか打開策を持ちながら、それすらもしなかった

多くの大人はもっと反省し何が出来るかを常に念頭に起き

準備を始めるべきです。

しかし、この考え方では

いじめは解決しないのです、責任追及はすべきですが

もっと、肝心なことを注目すること

それは、正しいしつけを知り、実践することです。

自分自身、正しいしつけとは何か解りません

しつけとは、一般常識でこんなもんだ

暗黙の了解で改めて、他の誰かに聞くのは

恥ずかしくて聞いたことがないのが現状です。

大勢の方がそう思っていると確信します、

大人たちが正しいしつけを理解し、実践して行くことで

子どもたちは、自然と大人を見て気付き

改めて正しいしつけを教えていく事で

子どもたちが、大人になっていった時に、結婚して子供もった時

正しいしつけが受け継がれていく

このことが、いじめに対して、予防と対策になるはずです。

正しいしつけだけでは、いじめには不十分であると

思っていますが、根底にある基本的な大事な部分を

全員が共通して持っていることが重要だと思います。

では、正しいしつけとは何か

これについては、次回にします

ただ最近になって、名前を知られてきた

アドラー心理学の教えがいじめに対して

有効であると感じています

例えば、アドラー心理学の教えの一つに

「その人の過去に、こんな経験があって、こんな風に育って来たので

現在こんなふうに行動する」という見方の原因論

「その人が向かうとする目的が現在を決定する」という見方

目的論があり

もっとも重要な問いは「どこから」でなく「どこへ」である

ということです。

つまりは、今あなたはどうしたいか?

過去にに何が合ったとしても、しがみつかず、惑わされず

今の自分がどうしたいのかを追求することが

問題解決の近道だとおしえています。

問題は、過去に起こったかもしれない

けれど、大事なことは未来にある

その一歩が、正しいしつけを学び実践することと

考えています。

残された課題は

正しいしつけと、アドラー心理学のような

過去に囚われない、前向く事がいかに大事かを教えている

学問がいじめに対してどれだけ対応できるかを

自分なりに勉強したことを発表したいと思います。

学校は要らないが現在の状況では無くすことができない

しかし、学校以外の選択を増やすことが

いじめに対しても、学校の負担に対しても有効であるが

これは、犯人探しの一つに過ぎず

いじめをどう無くしていくかは、未来をどうしたいかを

考える必要があります、

今日の自分が明日を作り、未来の目標が過去を決める

思い出を振り返ったときに、あんなことも合ったよねと

辛いかった事を笑い話にするには、

未来の自分が、

明るく、安心して

笑っていられる事だと思います。

そのために正しいしつけを学び、実践し

目標をしっかり持ち、未来に備える

自分も考えていこうと思います。

 

 

次回、正しいしつけと、アドラー心理学はいじめに対して効果はあるのか